おトイレ
人の中を流れ流れて、一人であることを忘れながら。
して、いつも別れてからは、さっきまでのことや、さっきじゃないちょい前のことを思い出す。
ひとりでね。
また何もなかったように流れていくんだけど、こう動いていると、忘れるってなんだろうね。
人と関わることを点とすると、その点に対する注意散漫か、それともこの先の点に対する期待なのか。
点は感情を伴う。
点してるときの自然に引き出された感情や、後から思い返しての引き出した感情、感情の押し込みともいう。
新鮮な点に付属する感情が、記憶になると、その点に真逆の感情が付くのは何故なんだ。
でも、また人の中を流れ流れて点も、一人も、色々忘れる。
今も流れていくよ。
特定の人と合流点へむけて。
会ったことない人との合流点へむけて。
たまに両親のことだつて忘れちゃいながら。
今日も越えます急流を。そしたら明日は濁流か。
ふとした時に芸術作品に巡り会うのですね。
さっきのべた、点への感情活動を
芸術作品から、させていただける。
一人で考えてるときじゃ限界があるけど、彼らはその限界を広げてくれる。
あんな点やこんな点。えもせず{いやん
引き出されてる。
芸術作品が覚えててくれるんだろうか、私が実は覚えてるのか、それは知りませんね。
彼らにかたちがあるのはそのためなら。
まことにありがたい。
なんかしっくりこないので変更。
芸術作品が思い出させるのでないのでは。
思い出させるものが芸術作品なのだ。
理論の逆転ですが、そちらの方が正しい気がしてきている。
だから、安心して流れましょう。
おトイレ。流しましょう。
あー
これだから文系は論点が散漫で嫌!とか、思ってるんでしょー。